| 市長近況短信 No.13 (6月上旬号) | ||
| 《秦野の水》 目にしみる緑とは今頃の緑を言うのでしょうか。街のどこに 居ても豊かな緑に囲まれていて、背伸びをしたり、深呼吸をし たり、自然に体をほぐす動作が出ます。森林浴とは良く言った もので、人間の体は緑を求め、緑に癒されると元気が出るもの のようです。 秦野の緑を育むものの一つに「水」があります。また、水を 育むものは緑でもあります。この大切さを考える「水道週間」 が実施されています。 「秦野の水道料金は県下でも一番安い!」 「秦野の水は全国名水百選の名水だ!」 こんなことが良く言われますが、ながく市の中に居住している と「当たり前」と思ってしまい、その恩恵が分からなくなって しまいます。 先日、私のホームページの愛読者(?)からメールを頂きま した。現在秦野市内にお住まいの方ですが、つい先頃まで転勤 生活を続け、永く市外で生活をされてきたO氏です。O氏曰く、 「朝日新聞の自治体なんでもランキングという記事を見たら、 秦野の水道料金は全国ベスト5に入る安さだとか…安いとは聞 いていたがビックリ!何故こんなに安く出来るのか?」とのご 質問でした。 6月1日号の広報にも載っていましたが、この美味しくて安 い水道水は、自然の恵みであると同時に、先人たちの努力の結 晶でもあります。 《曽屋水道》 秦野市の水道の歴史は、明治23年 当時の曽屋村の給水開 始から始まります。近代水道としては、横浜、函館に次いで全 国で3番目という偉業でした。「土管の水は旨い!」と喜ばれ ていましたが、実は近代水道以前は用水路を流れる水で飲料水 を賄い、用具等を洗うことにも使用していたのです。明治12 年に曽屋村でコレラが流行し81名の罹患者が出、内25名が 死亡するという痛ましい出来事がありました。それからも度々 悪疫に苦しめられた先人たちは、飲料水改良に立ち上がり、陶 管を用いた水道管を布設しました。 しかし、関東大震災(大正12年)の折に寸断され、後に鉄 管に布設替えが行われました。先人の努力との一言で言い表し てしまうのが申し訳ないような困難と戦い、今日の水道の基礎 が作られたのです。 《悲しい出来事》 「美味しい」と言われる秦野の名水にも幾多の荊棘の道(い ばらの道)があり、記憶に新しい出来事に「名水百選辞退か?」 と言われたことがありました。永い名水史の中での汚点です。 平成元年、湧水群から汲み上げられた水の中に在ってはなら ない物質(トリハロメタンやトリクロロエチレン)が検出され たのです。工場の廃水が地下に浸透し、盆地の水がめがジワジ ワと汚染されていました。折角、昭和60年に「日本の名水百 選」に選出された秦野の湧水群は、その誉れに傷を負い、回復 するには100年はかかると言われた化学物質による汚染でし た。しかし、人間の智恵は素晴らしい!ものです。苦しい局面 に立った時に画期的な創意工夫を生み出すのです。まるで人体 を人工透析するように、地下水を汲み上げ、化学物質を取り除 き、再び地下に戻す…といった地道な努力を重ねた結果、僅か 15年という期間と少ない経費で名水を復活へと導いたのです。 平成16年には「復活宣言」を行うことが出来ました。この件 を担当した津田信吾(現)技幹の名は、秦野名水の歴史に残す べき名前だと私は思っています。 《盆地の水がめ》 温泉地学研究所の推計によると、秦野盆地の底には3億トン もの水が蓄えられているそうです。芦ノ湖の水が1億7千万ト ンですから、その多さは想像出来ると思います。この貴重な財 産(水)は、市民全体のものです。子孫に大切に引き継ぐこと も、今守っていくことも私たちの勤めです。 これからも「安くて嬉しい!美味しくて良かった!」を続け るためには、市民の皆さん一人ひとりが、水や緑を愛し、上下 水道のことに関心を持って日々の生活をしていただくことが本 当に大切なのだ!と考える水道週間でした。 |
![]() 曽屋神社わきの水源 ![]() その水源の中 ![]() 曽屋配水場(曽屋神社の左手) ![]() 最初に布設された陶管 写真は「2006 わたしたちのまち はだの」 「秦野市教育研究所」から転載しました。 |
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