| 市長近況短信 No39 (3月上旬号) | ||
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《軽便鉄道》 2月、神奈川新聞の社会面に 軽便鉄道で結ばれた縁 秦野市と中井、二宮町 という記事が、大きく掲載されていました。 実は、中井の尾上町長と二宮の坂本町長と広域行政推進協議会を 設置することで話し合っていたのです。かつて3つの市町は、軽便 鉄道で結ばれていました。1983年、秦野青年会議所が創立20 年を記念して編さんした『ふるさと見つけた軽便鉄道』には、 ふるさと 秦野 丹沢山塊の ふところに抱かれた この秦野に かつて 小さなSLが 走っていました。 それは 小さなからだで 私たちの“まち”の産業や 文化のために 大きな働きを してくれたのです。 と記されています。 ・馬車鉄道の敷設 秦野〜二宮間に馬車鉄道が敷設されたのは明治39年。日本最初 の鉄道が新橋〜横浜間に開通したのが明治5年で、同20年には、 国府津まで延長されました。秦野に限らず沿線の内陸部の村々が、 この幹線への連絡を考えるのは当然です。当時すでにタバコの栽培 や製造が盛んになっていた曽屋村(のちに秦野町→秦野市)では、 その輸送路が必要となり、有志の人たちが考えだしたのが「湘南馬 車鉄道」といわれるもので、秦野の台町から二宮までトロッコ路線 のようなものが運行されたのです。 ・軽便鉄道へ 盆地の産業が盛んになるにつれて、生産物の輸送力増強のため 蒸気機関による軽便鉄道への切り換えが要望されました。大正2年 1月、蒸気機関車の運転が開始され、湘南軽便鉄道株式会社へと発 展したわけです。 ・秦野から中井、二宮まで 3つの町の間には、秦野駅ー台町駅ー大竹駅ー上井ノ口駅ー下井 ノ口駅ー一色駅ー中里駅ー二宮駅の8つの停車場があり、これらの 区間を軽便は時速10キロで走っていました。歴史書を見ると開所 の記念式に伊藤博文公が列席されたとあります。別荘「滄浪閣」に よく来られた縁でしょうか。 その後、関東大震災などを乗り越えて活躍していた軽便も、経営 難に陥り、昭和8年4月に旅客運輸を休止、昭和12年8月には廃 業許可となり、その姿を消しました。 私が子どもの頃、入船には秦野駅のホームが名残を止めていまし た。軽便の走る姿を実際に見たことはありませんが、よく古老から 話を聞いていたので、身近なものに感じています。 軽便鉄道は、3市町を結び、生活や経済面を繋げていたのです。 そんな縁がある市町です。公共施設の相互利用など、助け合えるこ とは協力しあい、互いの特色を活かしたまちづくり・住民サービス 向上に向けた新たな広域連携を展開していきたいと思います。 |
![]() ![]() 広域行政推進協議会を開催 ![]() 市役所屋上にて 尾上町長と坂本町長 |
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