| 市長近況短信 No77 (3月下旬号) | ||
| 《はだのこども館》
「花おこしの雨」といわれる雨が降った3月24日、3月定例会 が終わり、平成20年度の予算を認めていただきました。 今朝、そんな雨の中を秦野市少年野球連盟の少年たちが、アメリ カのパサデナ市に出発いたしました。各チームから選ばれ、合宿で チームプレーの練習に励み、昨年のサッカーチームの訪韓と同様に 青少年の国際交流のひとつとして訪米の途につきました。 そんな子どもたちの育成にかける熱き思い、その結集が「こども 館」です。 大袈裟に言えば、古谷よしゆきの青春の原点は、旧「県立青少年 会館」にありました。 昭和40年代初め、「金の卵」といわれた同世代の若者たちが、 各地から県西部の当地にも続々とやってきました。高度経済成長の 時代、地方からの労働力を受け入れた神奈川県は、その若者たちに 職場以外の所で、交流を持ったり、悩みを打ち明けたりといった場 の提供を考えました。すぐに家(親元)へ帰ることの出来ない若人 たちが、我が家に帰ったような気持ちで出入りしたのが、県内で2 館目に完成した秦野の青少年会館でした。当時の県知事は、先般亡 くなられた津田文吾氏。県内で次々に造られた会館は、やがて全県 に設置され、若者たちのいこいの場、学習の場として活躍してきま した。 かく言う私も、この会館の学習室を大いに利用していました。通 信教育を受けていた私の学習場所は、我が家ではなく、夜の学習室 だったのです。煩わしい音に邪魔されることなく、黙々とテキスト を読み、レポートを書くのに最適の場所でした。同時に、この会館 を利用する若者たちを率いて、多数あるサークルをまとめ、サーク ル協議会を立ち上げて、初代事務局長に就任したのが若き日の私で す。戦前戦後に地域で活動していた青年団が衰退し、それに代わる ものが必要だったのかもしれません。このサークル協議会の活動は 拡がり、各地に誕生しました。相互間の繋がりも密になり、横浜で の会議などに出席していた私は、ここで人の輪をも拡げていきまし た。当時出会った人たちとは、今でも交流を持っていますが、特に 県職員で会館勤務をされていた方には、県会議員時代、随分と助け ていただきました。 このように青春の出発点となった青少年会館が、時代に流れと共 に、その役割を終え、県から市に移管されたのが平成になった頃で した。その頃から、青少年会館をもっと有効に使う方法はないだろ うかと模索し始めました。 開館してから40年余り経つ会館は、内部の傷みや耐震性の問題 を抱えるようになり「窓が開かない、壁が汚い、空調が効かない」 等々の声があがりました。この建物を壊すのか、リニューアルする のかの判断を迫られた時、町の中心にあるこの建物を子どもたちの ために生き返らせることを考えたのです。 耐震性の補強工事をし、壁を明るく塗り、3階の学習室を広げ、 和室を無くしてパソコンを利用できる個のスペースを造りました。 古い建物であっても、きちんと補強補修をして使い勝手の良いもの に蘇らせ、市の未来を担う子どもたちの成長を応援する場所へと変 身させました。大きな建物を新たに造ることを考えず、今あるもの を有効活用していくこと。古谷よしゆきの市政は、派手で目立つこ とはありません。でも、次代にツケを回すような借金をせず、常に 財布の中身に相応しい政治、地道な政治を心掛けています。「はだ のこども館」がその表れなのです。 こども館を活用するたくさんの子どもたちが、多くの人や様々な 事象に出会い、郷土愛と夢を育みながら、大きく羽ばたいてくれる と信じ期待をしています。 |
![]() パサデナに向けて出発した少年野球の メンバーと共に ![]() はだのこども館の外看板 ![]() こども館正面玄関 ![]() 耐震補強を施したこども館 |
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