市長近況短信 No.8  (4月中旬号)
《パサデナ物語T》

 運動公園の桜を堪能しました。商工会議所前からパサデナ通り
をゆっくり歩き、文化会館までの道のりを…。
 こんな素晴らしい春。秦野に遠来の客がありました。太平洋を
飛び越したテキサス州(アメリカ)パサデナ市から姉妹都市交流
のために、市長をはじめ旧知の友人たちがやって来たのです。
 今日では「姉妹都市パサデナ」という名が、市民のみなさんの
中にもすっかり定着しているのではないかと思いますが…かつて
その存在すら知らずに過ごした歳月がありました。
 詳しくは『パサデナ物語』という本(※注釈参照)に書いてあ
りますが、両市は昭和39年(1964)に姉妹都市として提携
され、海外に姉妹都市を持ったのは、県内で4番目、全国で70
番目のことでした。秦野は加藤喜太郎市長の時代です。
 
歓迎のスピーチ
 英語での歓迎の言葉も途中から通訳の青木氏
 の力を借りてのスピーチです

歓迎パーティー参加者
 歓迎パーティーでは両市の代表が写真におさ
 まりました

『パサデナ物語』のカバー
 そもそものきっかけは、昭和38年初春に届いたJ.D.ハ―ヴ
ァード牧師ら3名を紹介する旨のパサデナ市長からの手紙でした
来秦したハーヴァー牧師らは、大秦野パブテスト教会に泊まり、
日本人牧師の川上直行氏との交流を足掛かりに、翌年友好姉妹都
市提携に至ったのです。
 しかし昭和44年。栗原市長に代わり、パサデナとの交流は形
骸化し、クリスマスの挨拶程度になってしまいました。こうした
経緯の中、突然降って湧いたようなパサデナ行きの話が持ち上が
りました。
 昭和53年2月17日、羽田空港からの出発です(当時は成田
空港は開港されていません)。同行のメンバーは、府川泰道団長
・府川マサ子(故人)・前島繁伸・内藤優・佐野哲太郎・府川菊
枝(故人)・野島明子・奈良部信子・杉山健・小清水末夫(故人
)・倉田浩司・川上直之・古谷義幸の総勢13名の市民有志が集
まり、民間使節団として自費で渡航しました。
この仲間からパサデナ物語の第2ラウンドが始まったのです。 
羽田から飛び立つ飛行機を見送った、我が女房どのが後日しみじ
み語った胸中は、「出発まで大騒ぎの半年間だったけど…本当に
パサデナに飛んでいっちゃったわ。だけど、無事に着けるのかし
ら?無事に戻ってこられるのかしら?」〜〜不安一杯〜〜〜
 実は、この思いは13名の参加メンバー全員がひそかに思い、
でも口に出せない、出したら即パニックになるような気持ちを抱
いての旅立ちだったのです。
   ★ この話の続きは、また後日…乞うご期待★

  ※注釈:『パサデナ物語―姉妹都市交流を深めた秦野市民』
   新声社 定価1500円 
   著者:遠藤 允(元神奈川新聞記者) 監修:府川泰道・   古谷義幸
      昭和62年(1989)7月発行
 「これは名前だけの姉妹関係から、血も涙も通い合う姉妹都市  関係へと発展させた日米市民10年の記録である」